便利になることは、本当に暮らしやすいのか
生活の中で思いつくことを、いくつか挙げてみると
- 便利な家電
- スマホですぐ調べられる
- ネットで買い物ができる
- キャッシュレス
- 自動でやってくれるものが増えた
便利なものが増えて、暮らしは確かに楽になった。
でも、
便利になったのに、なぜか時間に追われることがある。
「便利なものは使ったほうがいい」
以前は、
「便利になるなら、使ったほうがいい」
と考えていたと思う。
手間が減る。
時間が短縮できる。
楽になる。
それなら、便利なものを取り入れるのは当然だと思っていた。
そして、便利にできるものを、わざわざ不便なままにしておく理由はないと思っていた。
実は、あえて残している不便がある
ふと、思う。
私の暮らしは、本当にそうだろうか。
たとえば、
- ネット注文できるけれど、あえて店まで実物を見に行って検討する
- スマホのメモ機能も使うけれど、大事なことはノートに書く
- デジタル本ではなく、紙の本を購入する
など。
思いつくことを挙げてみると、
そうしている時間が、嫌ではないことに気づく。
なぜ不便を残しているのか
「実物を見ることで、イメージがわきやすい」
「少し時間をかけることで、冷静な判断ができる」
「紙に書くことで、頭の中が整理される」
「単純に、アナログのほうに惹かれる」
など。
不便=面倒ではあるけれど、その中に別の良さがある。
便利にしすぎると、
「楽になるもの」と「失われるもの」がある。
便利にしすぎると、逆に増えるもの
少し意外な気づきも。
便利になると、
- 空いた時間を埋めたくなる
- もっと効率化したくなる
- もっと早くできる方法を探す
- 便利なサービスをさらに探す
ということもある。
つまり、
「時間を作るために便利にしたはずなのに、
その空いた時間を何かで埋めてしまいたくなる。」
という矛盾。
時間ができたら、必ずしもゆっくりできるとは限らない。
今の自分は「便利」と「心地よさ」は別だった
便利なものを否定したいわけではない。
実際、
「これは便利になってよかった」
と思うものもある。
でも、何でも便利にすればいいわけではない。
「便利かどうか」だけではなく、「自分にとって心地いいか」で考えるようになった。
少し不便なくらいがちょうどいい
便利になることが、暮らしやすいとは限らない。
便利さが、逆に自分の焦りを生むこともある。
「居心地のいい暮らしやすさ」とは、
少し手間がかかる。
少し時間がかかる。
少し面倒。
そのくらいの余白があるほうが、落ち着くこともある。
便利さを増やすのではなく、「これは不便なままでいい」と思えるものを残しておく。
増やす。より 減らす。
そう考えると、
少し不便なくらいが、ちょうどいいのだろう。


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