以前は、
暮らしの中に「ちゃんとしなきゃ」と思うことが多かった。
掃除をするなら、時間をかけてある程度きれいにしたい。
食事を作るなら、簡単なもので済ませることに少し罪悪感がある。
休みの日なら、普段できないことをやっておきたい。
そんなふうに、毎日の中に小さな「ちゃんと」をいくつも持っていた。
「ちゃんとする」は、いつの間にか増えていた
誰も困ることはないのに、
- 洗濯物をその日のうちに畳む
- 掃除は一通りやる
- 食事はなるべく手作り
- 使ったものはすぐ片付ける
- やるべきことを残したまま休まない
生活の中のちょっとしたことにも、
「こうしたほうがいい」
「こうするのが普通」
という基準が少しずつ増えていった。
いつの間にか、そのひとつひとつが
「ちゃんとしなきゃ」
につながっていた。
「今日はやらなくてもいい」と思ってみた
干した洗濯物がリビングにそのままだと、
なんとなく気持ちが落ち着かない。
畳んで片付けるのがいつものやり方。
でも、こんなに疲れている日にまで、
きちんと終わらせなくてもいい。
そう思って、畳まずにそのままにしてみた。
逆に、
やる気も体力もある日は、
ここでやめておく方が後に疲れが残らない。
と分かっていても、ついつい頑張り過ぎてしまう。
だから、
「まだできるけれど、今日はここまで」と区切ってみた。
変わったこと
少しずつ、変化があった。
- 家事に追われている感覚が減った
- 「まだやることがある」と考える時間が減った
- 一つのことを終わらせなくても、別のことに移れるようになった
- 家事の完成度より、自分の疲れ具合を見るようになった
何もしなくなったわけではない。
必要なところだけ、ちゃんとする。
そんなふうに、少しずつ変わっていった。
「ちゃんとしない」と「だらしなくなる」は違った
もちろん、何でも後回しにしていいわけではない。
やらなければ困ることもあるし、誰かに影響することなら、ある程度きちんとする必要もある。
ただ、自分の中だけにある「こうしなければ」という基準まで、
全部守らなくてもいいのかもしれない。
そう思い始めた。
「ちゃんとする」を、自分で選べるようになった
以前は、
「ちゃんとしなきゃ」=やるべきこと
だった。
今は、
「これは今日やる必要がある?」
と考えてから、
やるか、やらないかを決める。
できるからやるのではなく、
必要だからやる。
そんなふうに、自分で基準を決められるようになった。
「ちゃんとする」を少しやめてみたら
「ちゃんとする」ことをやめたわけではない。
これからも、きちんとしたいことはきちんとしたい。
ただ、以前ほど「ちゃんとしなきゃ」と自分を急かさなくなった。
今日できなかったことを、明日に回す。
途中まででも、そこで終わりにする。
そんな小さな選択が増えただけで、暮らしは少し静かになった。
「これは本当に今日やることなのか」と考えること。
今の私には、そのほうが合っているのかもしれない。


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