ちょっとした時間があるとSNSを見ることが習慣になっていた。
特に目的があるわけでもないのに、
- 暇つぶしに見る
- 何となく開く
- 気になる投稿を追いかける
- 次々に表示されるものを見る
スキマ時間は、そんなふうに過ごしていることが多かった。
今は、SNSを見ている時間がかなり少なくなった。
SNSそのものが嫌いになったわけではない。
今でも必要な情報を得たり、興味のあるものを見たりすることはある。
ただ、「見たいから見る」のか「習慣だから見る」のかを考えるようになった。
以前のSNSとの付き合い方
一日を通して考えてみると、
私の生活にはSNSが欠かせなかった。
- 朝起きてスマホを見る
- ちょっとした待ち時間に見る
- 家事の合間に見る
- 寝る前にも見る
- 特に目的がなくても開いてしまう
ずーっと見ているというよりは、
スキマ時間があると、そのたびにSNSを開いていた。
気づくと、SNSを見る時間は増えていった。
見たあと、何となく疲れていることに気づいた
SNSを見ている最中は、そんなに気になるわけではない。
でも、
「たくさんの情報を入れたあと、頭の中が少し騒がしい」
「他人の暮らしや考えが、自分の中に入り込みすぎている感じがする」
「さっきまで何を考えていたのかわからなくなる」
新しい風は吹くけれど、
心でザワザワと波打ち、それはなかなか引いていかない。
SNSを見た後、考えがまとまらない日が続いたので、
少し距離をとってみようかと思うようになった。
「時間」より「気持ち」の変化に気づいた
SNSを減らして一番変わったのは、単純な時間の長さだけではなかった。
例えば、
- 人と比べる時間が減った
- 他人の出来事に気持ちを持っていかれにくくなった
- 自分のことを考える時間が増えた
- 頭の中に余白ができた
など。
特に「頭の中に余白ができた」ことは、
物を減らしたときと同じように、
ゆとりが生まれ、気持ちも少し落ち着いた。
物を減らすように、入ってくる情報も減らす。
この気づきが一番の変化だと思った。
SNSをやめたわけではない
完全にやめる必要はない。
便利な情報もあるし、楽しみにしているものもある。
だから、
「SNSを見ないほうがいい」
ではなく、
「自分にとって、どのくらいなら心地よく使えるのか」
を考えるようになった。
けれど、
時間があるとつい見てしまうSNS。
情報として取り入れたいアプリだけ残したり、
次々と流れてくる情報に時間を使いすぎないようにしたり、
SNSを見る時間をゆるく決めたりして、
ちょうどいい距離感を、まだ手探りで探している。
情報にも「適量」がある
食べ物なら、
「身体にいいものでも、食べすぎれば負担になる」
それと同じように、
必要な情報でも、多すぎれば疲れることがある。
SNSだけでなく、
- ニュース
- YouTube
- ネット記事
- 広告
- 人から聞く話
など、毎日たくさんの情報が入ってくる。
「情報を減らす」というのは、遮断してしまうことではなく、
自分に必要なものを選ぶことなのかもしれない。
今の自分にちょうどいい量を探している
SNSを完全にやめるつもりはない。
これからも見ると思う。
ただ、
「暇だから見る」
「習慣だから見る」
ではなく、
自分が本当に見たいものを見る。
そのくらいの距離感が、今の自分にはちょうどいい。

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