成果の定義を変える

思考

自由な時間は、前より増えたはずなのに。

なぜか、落ち着かない日がある。

読み終えていない本が、テーブルの端に置いたまま。

途中で止まった映画。

夕飯の支度に、いつもより時間がかかる日。

「今日も、たいして進んでいない」

そんな言葉が、ふと頭をよぎる。

時間はある。

なのに、何も“形”になっていない気がする。

本は最後まで読んでこそ意味がある。

映画は観終えてこそ満足できる。

料理は手際よく、効率よく。

どこかで、そう思っている自分がいる。

でも本当に、そうだろうか。

半分まで読んだ本も、

途中まで観た映画も、

ゆっくり作った夕飯も、

その時間は、ちゃんと味わっていた。

ページをめくる時間も、

映像に浸る時間も、

包丁の音が響くキッチンの時間も。

「完了していない」というだけで、

無かったことにしていないだろうか。

もしかすると私は、

“目に見える終わり”を成果だと思っていただけかもしれない。

でも、人生の多くは、

きれいに完了しないまま積み重なっていく。

読みかけの本も、

途中で止まった映画も、

台所に立つ時間も。

それらは、

「未完」ではなく、

ただ”流れている途中”なだけかもしれない。

完成よりも、

どんな気持ちでその時間を過ごしたか。

効率よりも、

どんな呼吸でその場にいたか。

成果とは、

終わらせた量ではなく、

どれだけ自分が楽しめたか、なのかもしれない。

そう思えたとき、

焦りは少しだけ輪郭を失った。

成果の定義を変えることは、

生き方の向きを、ほんの少し変えること。

整えるとは、

足すことでも、削ることでもなく、

“測り方を変えること”なのかもしれない。

今日は、そう思ってみる。

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